ビー玉アートの活動について、大きく取り上げていただきました。1面に写真3枚付きでしたので、スタッフにも知り合いから“出てたね”とメールがあったと嬉しい反響が。日々大きな出来事ではなく、変わりない時間を過ごすことが大切であり、貴重なのだとはわかっていても、こうして他人の目に触れる出来事があると、良い意味で緊張感を感じることができますし、普段とは違う嬉しさもまた!(Z)
投稿者「社会福祉法人ゆうのゆう」のアーカイブ
少年事件
あの頃、自分がなにをしていたのか、ほとんど思い出せないのが不思議でなりません。あまりに多くのことがあったからなのか、実は悩むばかりで空回りしており、実はなにもしていなかったのか…。
その前日から私は泊まり勤務。早朝、「校門前に警察がたくさん来てるで」と読者から電話があり、それを聞いた後輩記者から、「なんかヤバそうです」と連絡を受けたのが始まりでした。
首を切断されたこどもの頭部が校門前に置かれ、「さあゲームの始まりです 愚鈍な警察諸君 ボクを止めてみたまえ」と挑戦状が添えられていたという衝撃的な事件が、26年前の今日、1997年5月24日、神戸市須磨区で発生しました。
当時、私は神戸の検察庁担当。以後、様々な犯人像が浮かんでは消え、テレビも巻き込んで事件はショー化していきます。報道機関にはさらなる挑戦状が届き、“ショー”はさらにエスカレートしていきますが、その結末は、男子中学生の逮捕という誰も想像しなかった犯人逮捕で迎えました。
その余波はそれまで更生に重きを置いていた少年法の改正にまで及びました。
最近も裁判記録を家裁が破棄していたことがわかり、大きく報道されるなど、この事件の様々な側面からの重要性を再認識させられます。
今日は朝から“今日で26年”とラジオ、テレビが伝えています。
あまりの異常性故に亡くなった方々、ご遺族に思いを致すことができないのは、当時の私自身、そして今の社会も同じかも知れません。
こうして思い返してみても、やはり自分が一体、あの時なにをしていたのか思い出せません。当時自分はきちんと事件に向き合っていたのか、ただ報道の波にもまれていただけではないのか、今の自分はどうなのか、今の仕事を表層的にとらえていないか、自分はあれから変わったのか、同じことをやっているだけじゃないのか…(Z)
アートリース 新作と取材
西成区のはばら歯科さんに、ビー玉アートの新作の納入です。今回のテーマは「やきゅう」。ちょうどWBCで野球が盛り上がったため、野球のダイヤモンドをイメージした作品を作成しました。
加えて、今回は毎日新聞の記者さんが活動を取材したいとのことで同行されました。大きなカメラを近くで構えられ、利用者さんもスタッフもやや緊張気味での作品架け替えとなりましたが、ドクターにも撮影に協力いただきいい具合です。記事が楽しみです。(Z)
再会
立て続けに再会がありました。
ドイツボランティアたち、韓国からの元ワーキングホリデースタッフです。
私たちとの活動を終えた後、そのまま日本で福祉を学ぶ者、帰国して大学で障害者教育を学ぶ者、あるいはドイツ系企業の東京支店でインターンシップ中の者。今の進路はさまざまですが、ここでの経験を生かしてくれていることが嬉しく、そして再訪、旧交を温めることができて感謝です。(Z)
“強い決意”
いつもの通勤路。ふと見上げると、住宅の2階窓に「強い決意」という文字が…。どんな決意をしたのでしょうか。勉強?スポーツ?お正月に何かあったのでしょうか。
今年は何々をがんばろうと決意をするものの、1ケ月も経つと“あれ?なんだっけ?誰しもある経験だろうと思います。
だからこそ “強い決意”と。
私たちにはどんな決意が必要でしょうか。日々の生活か、仕事にか。日本?世界?環境?宇宙?
強い決意って何なの?教えてくれないだろうか。だらしのない私にもその強い決意を刻ませてほしいから。(Z)
28年を迎えた阪神大震災
あぁ、あれから28年か…
その時間を考えれば、震災のことを知らない人が増えるのも仕方ありません。ビルが倒壊し風景が一変した街、火災で焼け野原となり焦げた臭いがまだ漂う街、しかし、車で30分も行けば、以前と何も変わらない笑顔いっぱいの人々が行き交う街……
世界で初めてとなる都市直下型地震。行政も避難所の設置、仮設住宅の建設などの経験もあろうはずがなく、何もかもが手探りで混乱のなか、それでも少しずつ人々は落ち着きを取り戻し、復興に向けて動き始めました。
ある昼下がり、阪急・三宮の駅ビルが解体されている光景に出くわしました。神戸に住む人であれば、誰もが通る駅ビル。ふと隣を見ると、高齢の女性が手をあわせ、涙を流されていました。どんな思い出があったのでしょうか。震災で誰かを失ったのでしょうか。涙が流れる目をじっと閉じて、手を合わすその姿に私は息をのみました。10秒…、30秒…、動く様子はなく、私は声もかけられずその場を離れました。
そう、あれから28年…あの女性はもう逝かれたかも知れません。あの女性があの時手をあわせた感情もまた消え去ってしまったでしょう。
震災の教訓とは言いますが、忘れ去っていい感情もあるはずであり、28年という時間は忘れることを許してもらえるだけの長さのような気もします…(Z)
ウクライナとバレエ…
戦火止まぬウクライナから。ウクライナ国立バレエの来日公演が行われています。
ご存知の方も多いと思いますが、現在その芸術監督は日本人の寺田宣弘さんです。幼い頃からキーウにバレエ留学して活躍、今やバレエ団の運営を含めてすべての責任を彼が負っています。
https://balletchannel.jp/27636
1991年。当時、新聞記者だった私は京都支局に勤務。京都とキーウは“古都”というつながりで姉妹都市であり、親善訪問団が組織されるとのことで、チェルノブイリ事故後の取材も兼ねて私はキーウを訪れました。寺田さんのご実家は京都でバレエスクールを経営。寺田さんはなんと11歳からキーウへ留学していました。
その際取材したのは、寺田さんのお父様のほう。寺田さんについては「お父さんの影響で小学生から留学だなんて大変だなぁ」程度の認識でした。
しかし、ソ連の崩壊、ロシアのクリミア侵攻、そして今回の戦禍。次から次と襲い掛かる危機に異国で立ち向かい、ついにはバレエ団の監督に就任されるとは…。日本で言えば、歌舞伎や文楽をウクライナ人に任せるようなもの。それほどまでの信頼を得たのは、寺田さんの危機に立ち向かう姿をウクライナの人々が認めた証拠なのだと思います。
“疾風に勁草を知る” 年頭に浮かんだこの言葉。安易な“しんどい”という言葉をしばし禁じたいです…(Z)
2023年のスタート
新年が始まりました。
今年いただいた年賀状には、コロナ、戦争といった言葉が並びました。早く何とか…という祈りにも似た気持ちを誰もが持たざるを得ない状況なのでしょう。
私たちは2023年、どのような“路”を歩むでしょうか。
“疾風に勁草を知る”と言います。困難な時にその人、組織の真価が問われます。しかし、その勁草としてのあり方は人、組織それぞれ。大木か、柳か、竹か。
悩みながら歩む“路”。その景色を楽しむ気持ちは、確かなものとしたいです。今年もどうぞよろしくお願いいたします。(Z)
※年末、コロナ感染者が各施設で急増しました。通所をお休みするなど皆さんにご迷惑をおかけしました。あらためて感染防止に努めます。
クリスマス会 & ドイツ総領事
2022年のクリスマス会は、コロナ禍前の西成区民センターでの開催となりました。
テーマは“旅行”。各施設で行きたい旅行先を選び、その旅行先に関するクイズの解答を競いました。楽しいひとときを過ごしました。
さてビッグゲストは、ドイツ外務省からマルティン・エバーツ総領事!ドイツ青年ボランティアたちを私たちが受け入れていることから、彼らへの激励も込めて出席いただき、「このような若い人々の交流は日独友好の証」との言葉を頂戴しました。
先日のワールドカップサッカーでは、優勝候補のひとつ、ドイツを逆転で破っただけにそのお話が聞けるかと思いましたが、友好に配慮して(?)、その話題はありませんでした…(笑)。
秋のこどもカフェ
デーセンター機関車(都島区)でのこどもカフェ、2回目です。(11月27日)
コンサートあり、アートのワークショップあり、リサイクル品の販売ありとわいわいがやがや、地域の子どもたちも大勢参加して盛り上がりました。
地域にデーセンター機関車の存在も知られるようになり、こどもカフェも継続した開催が視野に入ってきました。(Z)