28年を迎えた阪神大震災

あぁ、あれから28年か…

その時間を考えれば、震災のことを知らない人が増えるのも仕方ありません。ビルが倒壊し風景が一変した街、火災で焼け野原となり焦げた臭いがまだ漂う街、しかし、車で30分も行けば、以前と何も変わらない笑顔いっぱいの人々が行き交う街……

世界で初めてとなる都市直下型地震。行政も避難所の設置、仮設住宅の建設などの経験もあろうはずがなく、何もかもが手探りで混乱のなか、それでも少しずつ人々は落ち着きを取り戻し、復興に向けて動き始めました。

ある昼下がり、阪急・三宮の駅ビルが解体されている光景に出くわしました。神戸に住む人であれば、誰もが通る駅ビル。ふと隣を見ると、高齢の女性が手をあわせ、涙を流されていました。どんな思い出があったのでしょうか。震災で誰かを失ったのでしょうか。涙が流れる目をじっと閉じて、手を合わすその姿に私は息をのみました。10秒…、30秒…、動く様子はなく、私は声もかけられずその場を離れました。

そう、あれから28年…あの女性はもう逝かれたかも知れません。あの女性があの時手をあわせた感情もまた消え去ってしまったでしょう。

震災の教訓とは言いますが、忘れ去っていい感情もあるはずであり、28年という時間は忘れることを許してもらえるだけの長さのような気もします…(Z)

ウクライナとバレエ…

戦火止まぬウクライナから。ウクライナ国立バレエの来日公演が行われています。

ご存知の方も多いと思いますが、現在その芸術監督は日本人の寺田宣弘さんです。幼い頃からキーウにバレエ留学して活躍、今やバレエ団の運営を含めてすべての責任を彼が負っています。

https://balletchannel.jp/27636

1991年。当時、新聞記者だった私は京都支局に勤務。京都とキーウは“古都”というつながりで姉妹都市であり、親善訪問団が組織されるとのことで、チェルノブイリ事故後の取材も兼ねて私はキーウを訪れました。寺田さんのご実家は京都でバレエスクールを経営。寺田さんはなんと11歳からキーウへ留学していました。

その際取材したのは、寺田さんのお父様のほう。寺田さんについては「お父さんの影響で小学生から留学だなんて大変だなぁ」程度の認識でした。

しかし、ソ連の崩壊、ロシアのクリミア侵攻、そして今回の戦禍。次から次と襲い掛かる危機に異国で立ち向かい、ついにはバレエ団の監督に就任されるとは…。日本で言えば、歌舞伎や文楽をウクライナ人に任せるようなもの。それほどまでの信頼を得たのは、寺田さんの危機に立ち向かう姿をウクライナの人々が認めた証拠なのだと思います。

“疾風に勁草を知る” 年頭に浮かんだこの言葉。安易な“しんどい”という言葉をしばし禁じたいです…(Z)

2023年のスタート

新年が始まりました。

今年いただいた年賀状には、コロナ、戦争といった言葉が並びました。早く何とか…という祈りにも似た気持ちを誰もが持たざるを得ない状況なのでしょう。

私たちは2023年、どのような“路”を歩むでしょうか。

“疾風に勁草を知る”と言います。困難な時にその人、組織の真価が問われます。しかし、その勁草としてのあり方は人、組織それぞれ。大木か、柳か、竹か。

悩みながら歩む“路”。その景色を楽しむ気持ちは、確かなものとしたいです。今年もどうぞよろしくお願いいたします。(Z)

※年末、コロナ感染者が各施設で急増しました。通所をお休みするなど皆さんにご迷惑をおかけしました。あらためて感染防止に努めます。

クリスマス会 & ドイツ総領事

2022年のクリスマス会は、コロナ禍前の西成区民センターでの開催となりました。

テーマは“旅行”。各施設で行きたい旅行先を選び、その旅行先に関するクイズの解答を競いました。楽しいひとときを過ごしました。

さてビッグゲストは、ドイツ外務省からマルティン・エバーツ総領事!ドイツ青年ボランティアたちを私たちが受け入れていることから、彼らへの激励も込めて出席いただき、「このような若い人々の交流は日独友好の証」との言葉を頂戴しました。

先日のワールドカップサッカーでは、優勝候補のひとつ、ドイツを逆転で破っただけにそのお話が聞けるかと思いましたが、友好に配慮して(?)、その話題はありませんでした…(笑)。