被災地支援1ケ月…

能登半島地震の被災地支援にスタッフを派遣して約1ケ月となりました。これまでに男女6人のスタッフが1.5次避難所とされる金沢市のスポーツセンターで被災者の支援に当たり、現在も継続中です。

日頃は重症心身障害者の方々の生活支援に従事するスタッフたちが、高齢者ら被災者への支援に関わることは、さまざまな意味で大きな経験となっています。次々と避難してくる被災者に生活歴等を十分に把握できないままに支援に入っていくことや日常を突然奪われた被災者への声掛けの難しさ、様々な場所、施設から駆け付けた全国の派遣職員の方々と協力して支援に当たることなどに戸惑いながらも大きな学びも得ているようです。

避難所では感染症が発生、まん延していますが、幸いスタッフは感染を免れています。勤務は8:00~20:00の日勤と、20:00~8:00の夜勤の2交代制。夜勤は途中2時間の休憩がありますが、これが連日となるとスタッフは疲労困憊です。しかし、当初は派遣職員の配置の調整などに手間取る場面があったようですが、次第に避難所の運営は軌道に乗り、日々交代する者同士の引き継ぎの方法、レベルも確かなものとなっているようで、スタッフたちは「皆さんの意識の高さに脱帽するしかない」と話しています。

とは言え、復興はこれからです。避難所の生活が続く被災者の方はまだおられます。まだしばらくは派遣を継続し、被災者の生活復興に少しでも役立てればと思います。(Z)

ご結婚おめでとうございます!

利用者さんとスタッフが協力し、ビー玉でカラーリングする“ビー玉アート”。想像もしない方向にビー玉が転がることで、ビー玉につけた絵具のラインが思いもしない表現で私たちの目を楽しませてくれます。

いつもはポストカードやキャンバス地の作品として制作しますが、お姉さまが結婚されるという利用者さんから「ウェルカムボード」のプレゼントです。色、デザインを皆で考えながら制作しました。

式はまもなく。当日は出席の皆さまを温かく迎えてくれることでしょう。(Z)

能登半島地震 被災地支援へ

阪神大震災から29年となったこの日、能登半島地震の被災地支援にスタッフ2名を派遣することとなりました。

障害者、高齢者、妊婦さんとそのご家族ら約250人が避難する1.5次避難所で夜勤シフトに入ります。昨日厚労省から連絡があり、急きょ金沢へ向かうこととなりました。

ホテルや旅館といった2次避難所に移動するまでの中継地点としての避難所とのこと。派遣するスタッフが求められる役割を果たして帰阪することを期待します。

そして、“仕事=福祉制度で定められた支援”と考えがちな昨今、福祉を職業とする上の原点となる“支援”とは何か。そのことへの思索を深めてもらえればと思います。(Z)

阪神大震災29年

明日1月17日、阪神大震災から29年…そして元旦の能登半島地震を受けての29年…

南海トラフ巨大地震の前兆との指摘があり、発生時期が定かではないとは言え、警戒感は自然に強まります。

制度上、BCP計画の策定が義務付けられました。しかし、建物が倒壊するのか否か、発生時間は? 津波はあるのか、様々な条件を考えると、重い障害を持った方々の支援をどのように継続すればいいのか、現実的な計画作成には頭を抱えてしまいます。

そもそもスタッフは、支援者たりえるのかどうか…

阪神大震災を神戸で体験し、東日本大震災では被災地の障害者支援のため何度も足を運びました。現地の方々を間近に見て、常に感じたのは、地震という誰しもが被災者となる状況下において、支援者と被支援者を分けるものは何なのだろうか…ということ。

仮にそれが個々人のハートに宿るエネルギーの多寡が条件なのだとすれば、今この時点で支援者は既に決まっていると言えるのかも知れません。しかしBCP計画にその条件を可視化することはできません。ただただ“期待”するのみ…。

自身にそのエネルギーはあるのか。スタッフ自身が自らに問いかけるべき、29年となるこの日です。(Z)

「偲ぶ会」

先日急逝された利用者さんを悼む「偲ぶ会」が1月14日に開催されました。

“悼む”とは「人の死を嘆き、悲しむ」とありますが、当日は多くの方が足をはこび、会場は人であふれ、時に涙、時に笑顔の会となりました。多くの利用者さんが支援学校高等部を卒業後に通所されるのに対し、この利用者さんは小学校、中学校は地域の普通校に通い、中学を卒業後すぐに通所をスタートされました。そのためか、福祉・医療の関係者だけでなく、たくさんの“ママ友”も来られていました。

思い出のムービー、献花の花束をスタッフたちが準備しましたが、スタッフ自身がその会場の“熱気”に驚くばかりです。地域のつながりとは、福祉の場面でよく言われることではありますが、実際にその“証拠”を目にして、その大切さ、その力強さを利用者さんにあらためて教えられた偲ぶ会でした…(Z)

2024年が始まりました。

報道の通り、“あけましておめでとうございます”という言葉が憚られるほどに様々なことが起きています。

特に東日本大震災では被災地の重症心身障害者の支援をとスタッフを派遣した私たちにとって、北陸・能登の惨状に胸をしめつけられるような思いです。道路が寸断され、被災地へのアクセスもままならず、ニュースで状況を知るにつけもどかしさでいっぱいとなります。なにかお手伝いできることはないだろうかといまだ情報収集に努めている段階です。

一方、新年早々、ドイツから新しいボランティアの受け入れが始まりました。5日来日したマルテ君は古城で有名なハイデルベルグ出身。昨夏からイスラエルでボランティア活動を行っていましたが、ガザ紛争のため帰国。あらためて日本での活動を希望し、当方で今年8月までボランティア活動を行うこととなりました。ついこの間までは高校生だったという18歳。活躍を期待しています。(Z)

クリスマス会2023

12月20日、クリスマス会を西成区民センターで開催しました。

今年は各施設が工夫を凝らした出し物に挑戦。ゲームやハンドベル、ゲームにパレードと様々な形で盛り上がりました。どれも準備に時間がかかった“力作”ぞろいでした。

ドイツ総領事館からはメラニー・ザクシンガー総領事にご参加いただきました。私たちが毎年受け入れているドイツ青年ボランティアたちの激励のためですが、当日はゲームにも飛び入り参加したり、プレゼントを贈るサンタ役を務めてくれました。大いに楽しまれたようで、「来年もまた」との言葉をいただきました。(Z)

ドイツからの見学者

「ホームページを見ました。見学させてほしい」というメールが届いたのが、10月中旬。最初は、怪しい…と思ったのですが、メールを重ねるうち、本気だと分かり受け入れをOK。1日じっくりと見学いただきました。

ドイツのベルリンの福祉施設に勤めるヨハンナさん=写真右から2人目 は、日本には初めての観光旅行。日本の福祉施設も見学したいとインターネットで調べてデーセンター夢飛行、デーセンター機関車、グループホームことのはを訪ねてくれました。朝から送迎や朝の会、昼食の様子を見学、また都島区社協で開催されていた防災イベントにも参加して、楽しい時間を過ごせたようでした。

東京、大阪、京都、奈良、金沢を観光するなかで、訪問してくれたことに感謝です。私たちも彼女のように自身の仕事に関心を広く持ち、飛び込んで行く気概を持ちたいもの。私たちにもいい刺激となりました。(Z)

チキンカレーとビリヤニ

インド旅行をしたのだから、さぞかし美味しいカレー料理を毎日食べたんでしょうね?と聞かれることがありますが、香辛料や肉をふんだん使ったインド料理はインドでも結構なお値段。学生の貧乏旅行だった私は、路上の格安ダルカレーを毎日食べていました。薄緑色の豆スープをご飯にかけて右手で口にかき入れます。いわゆるカレーの味はしませんが、庶民の味として非常にポピュラーで、路地裏にはこの手のお店がたくさんありました。

さて、あれから約40年の時は過ぎ…。今日は調理の日。夢飛行ではインド料理に挑戦しました。

下ごしらえを利用者さんが行った後、インド出身のナグさんが仕上げを。自宅から珍しい香辛料を持ち込んで、本格的なチキンカレー、ビリヤニを作ってくれました。利用者さんの舌も考え、味はマイルドにしてくれましたが、施設いっぱいに広がった香辛料の香りで、経管栄養の利用者さんもお腹いっぱいになったことでしょう。(Z)

15年ぶり 元ワーホリスタッフ from Denmark

実に15年ぶりの訪問でした。元ワーキングホリデースタッフのヤコブが再訪。旧交を温めました。

彼は利用者さん、スタッフのことをよく覚えていました。会った瞬間に15年前に戻ったようで、名前を読んだり、新しい施設でのリフトを使用した入浴介助の様子に見入ったり…。

唯一無二のデンマークからのワーキングホリデースタッフでした。社会活動に関心を持っていた彼は、離日後もベトナムやインドネシアのNPOで活動、多くの経験を経て、現在はイギリス・スコットランドのアバディーン市にある大学で社会調査士として勤務。日本で開催された社会学学会を利用して再訪を果たしました。

思い出話は尽きず、話題は世界情勢にまで。各国とも国民の経済格差は広がるばかりで、物価高騰もあり、イギリスでの彼の生活はほんとうに厳しいとのこと。一方、高級車を乗り回すのは、インド、中国からの留学生という現実。また一般には福祉先進国とされるデンマークですが、「制度、予算はいいかも知れないが、利用者との関わりは…?僕はむしろ日本のほうが優れていると思う。でも皆に話しても、“え?日本が?”って感じで信じてくれない。デンマーク人は世界一と信じているけど、もっと世界を見るべき」との持論を展開していました。

こうして私たちを忘れず、長い時間が経過しても再会できることは何よりもうれしいことです。再会の時間もあっという間に過ぎました。ありがとう!(Z)