本を読んでいても息苦しい時間が続きます。「一年前の今日の何と暗かったことか。この一年間の自己を振り返ると、とめどもなく自己嫌悪と絶望がふきだしてきます。」(森恒夫)という言葉が私の頭の中を侵食していきます。
当時暴力に絡めとられた学生たちの多くは、今のキャンパスに足を踏み入れているとすれば、いわゆる“Z世代”の学生となっていたに違いありません。では、あの暴力はただ時代の空気がそうさせたものだけだったのでしょうか。
“酒鬼薔薇事件”では革マルは「権力謀略論」を主張するなどしましたが、記者としてこの事件を取材していた私は本気なのか?それで革命が?と思わずにはいられませんでした。これがあの暴力の行先?
しかし、異常とも思えるその“熱”は、暴力や組織論といった思想によって生み出されるものだとしたら、もう私たちは再びその熱を生み出すことができないのだとしたら。
ひたすら混ざりけのないものを求めること、純化させていく行為は人を傷つけ、他者への無関心を醸成します。それでも真剣に自らを沈めていくことを止めてしまうことに、ただ時間を浪費する人生に悲しみを感じてしまうこともまた事実なのです。(Z)